子どもを放射能からまもる会in千葉
終わりの見えない福島の原発事故。情報を集め、調べ、必要な声を上げて行こう

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私たちの会のルーツである「チェルノブイリの子ども達に・千葉の会」はチェルノブイリ原発事故をうけて1992年から、短期間でも被災地の子ども達に、放射能汚染から切り離した生活を送らせることで心身の健康や免疫システムを回復させることを目的にした「保養ステイ」運動を行うために発足しました。保養ステイの他にもチェルノブイリ救援募金を通じて現地に医療器具、薬品、文房具を送る活動、現松本市長である菅谷先生が代表のチェルノブイリ医療基金に寄付を行っていました。

会員やボランティアの皆さんの協力で多くの子ども達を受け入れましたが、私たちにとっても生涯忘れることの出来ない出会いでもありました。その後ベラルーシを訪問し子ども達と再会することが出来ました。
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1992年我が家にやってきたグーリャ(中央)とリューダ(左)
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グーリャ(左端)のご家族と当時の千葉の会メンバー
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グーリャのお祖父さんとお祖母さん。うしろにはのどかな田園風景が
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1993年に来日したイリーナ(左端)とユーリャ
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イリーナ(当時18才)の弟とお母さん。イリーナは医師になったと聞いています

もちろん幸福な再会ばかりではありません。イリーナや多くの子が視力の低下や頭痛に悩まされていたほか、行方がわからない子、親がアルコール中毒で台所にパンの一かけらもない家庭もありました。原発事故はその地域の歴史や文化、人間の生活を根こそぎ壊してしまいます。
当時私たちは現地の悲惨な状況は理解しているつもりでしたが、やはりどこか「他人事」で、私たちの住むこの国の状況について発言する力が弱かったと痛感しています。今となってベラルーシの子ども達がどんな気持ちではるばる千葉までやってきたのか理解できたような気がします。
「福島原発はチェルノブイリの10分の1の放射能しか出していない、レベル7は大げさだ」と言う方がいますが当時のソ連は日本の50倍以上の国土を有していました。だから数万人の市民を一気に強制移住させることが可能だったのです。
子ども達(もう成人していますが)が今の日本の状況をどう見ているのか聞いてみたい気がします。
(長谷川弘美)

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